現在まで続いている日本最古の和菓子店といわれています。虎屋に伝わる口伝によると、遠く奈良時代(710~749年)から皇室(禁裏)の御用を務めていたとのことで、京都遷都の際は京都へ、東京遷都の際は東京へ(店舗は京都に残したまま)と、常に皇室のそばに同行して御用を務めてきました。
虎屋といえば「羊羹(ようかん)」が有名で、ずっしりとボリュームがあるのですが、甘すぎず程良い上品な味わいが楽しめます。
暑い夏を迎えるお中元の時期には、涼しげな気分を味わえる羊羹が人気です。虎屋の羊羹は、お中元の贈り物にきっと喜ばれると思います。
創業は貞和5年(1349年)と大変古く、歴史のある老舗です。室町時代から天皇家の御用達となっており、足利将軍家や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も食したという伝承も伝わっています。
写真の「志ほせ饅頭」は、皮に薯蕷(山芋)を用いているため、ふわりとしていて歯ごたえもあります。甘さは控えめなのでしつこくありません。
時代の寵児達も愛した塩瀬のお饅頭を食べたら、昔にタイムスリップしたような感慨にふけるかもしれませんね。
明治33年(1900年)、中川安五郎が長崎にて文明堂を創業。大正11年(1922年)に実弟の宮﨑甚左衛門が東京上野に店を構えたところから文明堂東京の歴史が始まります。東京での経営も軌道に乗り、大正14年(1925年)には宮内庁御用達を拝命しました。
献上品の「特撰ハニーかすてら吟匠」は、材料を厳選し蜂蜜を加えてふんわりと仕上げた、甘く香り高いカステラです。
カステラはかつては高級食品でしたが、現在では珍しくない食品となりました。贈り物として、今でも中高年層へ根強い人気がある商品です。
京都を代表する京菓子の老舗で、創業は享和3年(1803年)。上菓子仲間の一員として皇室(禁裏)の御用にもなり、京菓子の発展に寄与してきました。銘菓「福ハ内」は明治天皇の皇后である昭憲皇太后が、銘菓「柚餅(ゆうもち)」は昭和天皇がそれぞれお買い上げなさったとのことです。
御用品の柚餅は、やわらかな食感とともに口の中に爽やかな柚の香りが広がっていきます。一口サイズなので何個でも食べてしまいます(笑)。
明治27年(1894年)創業の老舗高級果物店で、「千疋屋総本店」よりのれん分けを受けて創業しました。日本初のフルーツパーラーを開業した「果実専門店」で、昭和6年(1931年)には宮内庁御用達を拝命しました。宮内庁からはメロンのご注文が多いそうです。
「フルーツマイスター」が厳選した果物のみ提供しているので、品質にも安心できます。また、季節のフルーツの詰め合わせはギフトとしても大変喜ばれています。特にお中元や夏のお盆には、銀座千疋屋のフルーツゼリーが贈り物として人気です。
ちなみに「フルーツポンチ」という名称を考案したのも銀座千疋屋とのことです。
明治40年(1907年)創業の和菓子店。創業者・水原嘉兵衛氏の誠実な商いと上品な味の和菓子が評判を呼び、伊藤博文や山県有朋、公爵・西園寺公望といった明治の政財界要人の御用を務めるようになりました。昭和9年(1934年)には宮内庁の御用を承るようになりました。
清月堂では、代々当主が独自の菓子を生み出すことが家訓とされています。3代目が考案した看板商品「おとし文」は、黄身餡をこし餡で包んだ蒸し菓子で、餡に和三盆(砂糖の一種)を加えており、まろやかで品のある甘さを味わえます。
昭和8年(1933年)創業。「タルト」はおよそ350年前、松山藩主・松平定行によってオランダから伝えられ、今では愛媛県松山市の郷土菓子とりました。
六時屋のタルトは昭和28年(1953年)に松山国体に来られた昭和天皇、皇后両陛下が召し上がってお気に召されたといいます。また、昭和41年(1966年)に行われた植樹祭の際にも、再び御用を承ったといいます。
餡はほんのり柚子の香りがして、ふんわりとしたカステラ生地によく合います。
大正13年(1924年)、フランスのパリで菓子製造の技術を学んでいた門倉國輝が帰国後、東京大森に日本初の本格的なフランス菓子店コロンバン商店を創業。門倉國輝は宮内庁(省)大膳寮員を拝命、天皇陛下の料理番を務めていた過去も持ちます。
銀座にオープンテラス喫茶「テラスコロンバン」を開店し、日本の洋菓子ブームを牽引。現在は原宿にある原宿本店サロンを中心に、関東や全国に向けてへおいしい洋菓子を提供しています。
上皇陛下とコロンバンとの関係にはこんなエピソードも。まだ上皇陛下が学生だった頃、ご学友と一緒にお忍びでコロンバンを訪れ、アップルパイと紅茶を楽しんだとのこと。
コロンバンの人気商品は、クッキーの「メルヴェイユ」。味はスイートチョコレート・ミルクチョコレート・コーヒークリームの3種類。沢山入っているので東京出張のお土産や、引っ越し祝い・お返し・贈答品など、様々なシーンで活躍します。