有田焼とは、佐賀県有田町で盛んに作られている陶磁器のことです。その歴史的価値と美術性の高さから海外でも高い評価を得ており、国の伝統工芸品に指定されています。
有田焼は、別名では「伊万里(いまり)」とも呼ばれていますが、これは江戸時代に「伊万里」という港で積み出しを行っていたために「伊万里」と呼ばれるようになりました。
現在では、有田地区のものを「有田焼」、伊万里地区のものを「伊万里焼」と呼び分けているようです。
有田焼が製造されるようになった江戸時代初期(1600年代)の頃です。当時、土地を治めていた鍋島藩は殖産興業策として有田焼をその庇護に置きました。その過程で鍋島藩は、伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、窯場を有田の13箇所に限定しています。
また鍋島藩は、幕府や朝廷、諸大名への献上品とするべく製造された高級指向の焼き物を「鍋島焼」として、他の焼物との差別化を図っています。鍋島焼は、鍋島藩お抱えの藩窯(御用窯)を用いて製造します。
有田焼で有名なのは香蘭社と深川製磁です。また、江戸時代に流行した酒井田柿右衛門による柿右衛門様式という独自の作風も有名です。現代にも脈々と受け継がれる柿右衛門様式は、国の重要文化財にも指定されています。
有田焼の香蘭社、深川製磁、柿右衛門窯は共に、皇室の食膳を美しく彩る食器として、宮内庁御用達を拝命する栄を賜っています。
明治12年(1879年)創業の香蘭社は、江戸時代に初代深川栄左ヱ門が磁器製造をはじめたところに起源をもちます。明治維新による激動の中、庇護を受けていた佐賀藩が消滅し、有田焼はその存亡の窮地に立たされます。8代目の深川栄左ヱ門らはこれらの困難に対し尽力し、有田焼の再興が果たされます。香蘭社は、この8代目深川栄左ヱ門を創業者としています。
優雅な染付と華麗な赤絵を配した伝統的作法は「香蘭社調」と呼ばれ、国内はもとより海外でも高い評価を得ています。明治より各国で開催されてきた万国博覧会でも、栄誉ある金賞を受賞するなど、世界中の人々を魅了してきました。
明治27年(1894年)創業の深川製磁は、香蘭社を創業者した8代目深川栄左ヱ門の弟、深川忠次により創業します。兄とともに香蘭社を盛り立てていくという道もありましたが、あえて兄とは違う道で有田焼の将来を発展させてゆこうと決断するなど、情熱に満ちた人物であることが窺われます。
深川製磁もまた、有田焼を世界に向けて発信するという目標のもと、積極的な海外進出を進めています。明治33年(1900年)のパリ万国博覧会へ出展の折には、最高金賞を受賞、その4年後のアメリカ・セントルイス万国博覧会では、最高金賞を受賞するなど、その実力と評価の高さを実証しました。
深川製磁の社章には富士山のデザインが採用されていますが、これは「富士山のような、日本を代表する窯元を目指したい」という、創業者の壮大な想いが込められているといいます。
江戸時代初期(1616年頃)創業の柿右衛門窯は、江戸時代に流行した柿右衛門様式を作風とする有田焼の窯元です。第十四代(故)酒井田柿右衛門氏は重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された経歴をもちます。
柿右衛門様式は、繊細で上品なタッチで描かれた絵画に、余白を十分に取った構図を特徴としており、濁手(にごしで)と呼ばれる温かみのある乳白色が印象的です。